宮園津江神社の祭事「麦餅つき祭り」の由来大分県指定無形民族文化財豊後・肥後・筑後にまたがる三国山の西麓、鬼の洞に盗賊が住んでいた。盗賊は旅人や近郊の住民を苦しめていた。困り果てた近国の領主は、九州探題の大友氏に訴え、大友氏は中津江に住んでいた長谷部宗俊(中津江長谷部家の先祖)に討伐を命じた。盗賊は岩山の岩窟に立てこもり激しい戦いを展開したが、宗俊は賊将を討ち取った。その討伐前に宮園神社で戦勝祈願をしたことから、天福元年(1233年)に戦いの様子を模してこの祭りが始まったとされている。この祭りは、毎年7月15日に催される。当日は、氏子たちがふんどし姿になり、樫の丸木棒をもって登場する。川の水で水ごりをとり、かけ声を交えた餅つき歌を歌いながら餅つきを始める。最後は、「あばれつき」となり激しい戦いを表現する。餅つきが終わると、杵に使った樫の丸木棒を折り、参詣人はこれを貰って帰る。魔除け、疫病除けのためといわれている。 |
この行事は、800年ほど前から伝わる、伝統的行事ということになります。 餅つきは、蒸した麦と樫の木の棒(約130センチ)で餅つきをします。 最初は、普通につきあげ、四角の型にきな粉と混ぜ合わせて入れ、木槌で付いて形を整えます。それを神社に奉納。 次は、一般の参拝者も参加して、餅つき。 最後は、萱(かや)の葉が投げ込まれ、麦と混じった状態で餅つき、そして、樫の木の棒をくみ上げ、その上に人が乗って「あばれつき」という餅つきが行われます。 餅つきを終わると、使用した樫の木は、すべて折られ、折れた破片をみなさんが持ち帰ります。魔除け、疫病除けのほかに、神社には雷除けの神様も祭っていることから、雷除けも・・といいます。 この宮園津江神社の氏子は、中津江村丸蔵地区全体で約100世帯、各班ごとに順番に祭りの世話役を行っていましたが、高齢化などにより継続が難しくなったといいます。そこで、地元の壮年会を中心に『麦餅つき祭り保存会』を結成。現在も、受け継がれているお祭りです。 また、10年ほど前から、小学校の児童も参加。この日は、中津江小学校の4~6年生の20人が参加していました。男子児童は、ふんどし姿で参加、女子児童は、周りから水をかける役目を演じていました。校長先生は、総合学習の一環として、地域の文化を理解できればと話してくれました。 餅は、終わったあとに各世帯分に切り分けられて、お世話をする人が持ち帰ります。 その味は、きな粉と混じって、味は濃くなくタンパクな味で噛めば噛むほど味が出ると言う感じでおいしかったです。餅つきの前の蒸しあがった麦も試食させていただきましたが、おいしい。麦を蒸したものって美味しいんですね。